総本山 身延山久遠寺(山梨県)
ご本尊 大曼荼羅御本尊
開 祖 日蓮大聖人
日蓮宗は、久遠実成本師釈迦牟尼仏から、その本懐である法華経を、末法に弘通することを付嘱された本化上行菩薩の応現日蓮聖人が開創唱導した真実の仏法を開顕する仏教正教集団です。
日蓮宗は、本門の本尊を帰依の正境とし、本門の題目を信行の要法とし、本門の戒壇を依止の戒法とする三大秘法を宗旨として法華経を行じ且つあらゆる思想を開顕して妙法に帰せしめ、もって即身成仏、仏国土顕現を理想とします。
日蓮宗は不惜身命の経意を体し、異体同心の祖訓を奉じ、祖山中心の信仰を堅持し、皆帰妙法の祖願達成に精進することを本誓とします。
寺院数5101ヶ寺(2024.1.1日現在)
僧侶数7567名(2024.1.1日現在)
昭和38年(ウサギ年)12月10日生 父山ア義弘・母恭子、和歌山市にて出生。 実父は生前の8月に逝去。 翌年3月新間昭彦・久榮に養子縁組。 新間義彦となる。その後妙法華院境内地内に居住、 神戸育ち。 昭和44年 養母久榮逝去。 昭和53年 養伯父 新間智照を師僧と仰いで弟子入り。 昭和57年 神戸市立神港高等学校卒業後、得度。 昭和59年 第2期信行道場修了し、教師資格取得。 昭和61年 立正大学仏教学部卒業。在学中「義彦」から 「智孝」へ改名。 中山法華経寺の大荒行堂を2回成満。 日蓮宗布教研修所修了。 平成12年 養父昭彦逝去。 平成22年 妙法華院第五世の法燈を継承。 妻「陽子」と子供は男三人。 資 格 日蓮宗布教専修師・修法師・社会教導師・霊断師 現 在 兵庫東部布教師会会長・日蓮宗新聞編集委員 |
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私は、幼い頃からあまり家族の暖かみというのを知りません。しかし高校と大学において、かけがえのない友人達と出会い、私の性格や考え方は大きく変わりました。 そして27歳で結婚。子宝にも恵まれ、ようやく自分の家族が出来た安堵感は、今でも鮮明に覚えています。 ですがそんな一方で流れのままに僧侶になった私は、まだ自分の心の片隅で、何か納得出来ていない気持ちがありました。信仰とは何か。自分は何をすべきなのか。お経を唱えてどうなるのか。 そんな揺れる気持ちに悩んでいた時に起きたのが、あの平成7年の阪神大震災でした。被災地のど真ん中で、さまざまな体験を通し、自分自身の生き方を見つめ直す大きな機会を得ることになりました。 私は妻子を残し半年間、布教研修所に入所し身延山の日蓮聖人のお膝元で再度、一から法華経や御遺文を学びました。 その後消防団(令和3年に退団)に入団し、地域との繋がりを持つ一方で、宗内の仕事にも積極的に関わりました。震災記録誌『佛の御手を垂れ』の編集や日蓮宗新聞支局長時代の管内新聞『れんこんセブン』発行等、特に文書布教に力を入れて活動してきました。 宗内行政の近畿教区事務も経験させていただき、今日までの様々な経験が自分の宝になっています。 現在は当山の住職として、お寺の活動を中心に据えて、日々精進しております。 座右の銘は、日蓮聖人のお言葉にある「行学は信心より起こるべく候。力あらば、一文一句なりとも語らせ給うべし |
護国山妙法華院は1884(明治17)年、正中山法華経寺(日蓮宗大本山・千葉県)第114世妙地院日亀上人(久保田日亀)により正中山別院として開創されたお寺院です。
開祖の弟子であった第二世妙貫院日精上人(新間智励)が事実上の初代住職として、在職39年かけて本堂・鬼子母神堂・山門等を建立し、きびしい行法と質素な生活をつらぬいて当山は霊験ある祈祷道場としての盛名があがりました。
第三世妙事院日進(新間智啓)は在職29年、学徳高く研究著書もあり、布教師として足跡は全国におよび、社会教化にもつくし、当山は祈祷・修行のみならず、教学・布教のセンターとなりました。
しかし、第2次世界大戦の末期、1945年(昭和20)3月17日、神戸大空襲の業火の中に、かろうじて本堂奉安の日蓮聖人像を避難遷座しましたが、一夜にして大伽藍も万巻の蔵書も灰燼に帰しました。
戦後の復興は仮本堂から小本堂建立へ。そして第四世妙解院日明上人(新間智照)は在職56年。
信行活動や平和人権運動の社会活動を充実しつつ、宗門中央(宗務院)の役務も担ってきました。
1988年(昭和63)4月、第1期工事として行われた現本堂が全檀信徒の熱意により建立落慶し、寺観を一新しました。寺の活動運営も総代選挙や委員会制・会計公開など寺檀一体となって現代的運営を進めています。阪神大震災に被災するも、当山は全国からのボランティア青年僧らの拠点として役立ちました。1999年(平成11)隣地を購入し、戦後の都市計画で減歩した百坪を回復して余りある境内拡張が実現し、2004年(平成15)には、第2期工事として新納骨堂を増築建立しました。
そして2011年(平成22)11月に、現住職・第五世妙久院日修(新間智孝)に法燈が継承されました。
2014年に第3期増改築工事を行い、和洋折衷のお寺として生まれ変わりました。檀信徒だけでなく近隣や一般の方にも気軽に利用していただけるようにお寺を開放して新たな活動に取り組み始めています。