【令和4年9月 小脇英生 氏  撮影】
 

この写真は、日蓮聖人が文永11年(1274年)より弘安5年(1282年)にまでお住まいになられていた身延山西谷の旧跡です。日蓮聖人によれば、「身延の山に木を伐りまにあわせの庵室を造りましたが、四年もたつと次第に柱は朽ち、土壁はくずれ落ち、修繕もしませんでしたので、夜は火を燈さなくても月の光で聖教を読み、経巻を巻かなくても吹き込む風が自然に巻いてくれます。今年はとうとう12本の柱が四方に傾き、四方の壁も同時に落ちてしまいました。生滅無常の世に生きるはかない身ですので、雨が降らないようにと祈りながら工事に精を出しましたが、人夫がいないので弟子たちを励まし、その上、食料もありませんので雪をかじり、命を支えておりましたところ、以前に上野殿から供養として送られた二駄の芋、そして今またお送りいただいた一駄の芋は、珠玉よりもありがたく感謝するばかりです」とのお手紙が残っています。

 日蓮聖人は、ここで弟子・檀越を教導し法華経の読誦に励まれたのです。

ご入滅されてからは遺言に基づき、この地は御廟所となりました。